人体病理学 病理診断学分野 (旧 病理学第一講座) 教授
三浦 守治教授
明治20(1887)年3月-明治43(1910)年2月
安政4(1857)年4月30日 | 奥州(福島県)田村郡三春に生れ |
明治14(1881)年2月 | 東京帝国大学医学部を卒業、同年大学傭として医院勤務 |
明治15(1882)年2月 | 病理部及び病理解剖学研究のためドイツライプチヒに留学 |
明治17(1884)年8月 | ドクトル学位授与(ベルリン大学) |
明治20(1887)年3月 | 帰国、同年3月17日 医科大学教授 |
明治24(1891)年8月 | 医学博士 |
明治26(1893)年9月 | 東京帝国大学病理学病理解剖学第一講座教授に就任 |
明治35(1902)年3月 | 欧州各国出張 |
明治38(1905)年6月 | 中国出張 |
明治39(1906)年4月 | 勲二等瑞宝章、同年9月 帝国学士院会員 |
明治40(1907)年4月 | 満州出張 |
明治43(1910)年2月5日 | 退官、同年3月 従三位 |
大正3(1914)年3月 | 名誉教授 |
一方、趣味は広く特に和歌においては特技の域を超えて一家を成しておられた。
大正5年2月2日午前6時 医科大学医院佐藤外科にて急性腹膜炎にて逝去。遺言により同日午後1時 病理解剖を行う。享年60歳。
山極 勝三郎教授
明治43(1910)年4月-大正12(1923)年9月
文久3(1863)年2月22日 | 長野県上田市に生れ |
明治21(1888)年11月 | 東京帝国大学医科大学卒業、同時に医科大学助手 |
明治24(1891)年3月 | 助教授 |
明治25(1892)年4月 | ドイツのベルリン大学 ローベルト・コッホ先生の元で結核治療剤としてのツベルクリンの研究見学、次いでウイルヒョウのもとで病理学病理解剖学を専攻 |
明治27(1894)年5月 | 帰国 |
明治28(1895)年9月 | 同年 東京帝国大学病理学病理解剖学第二講座教授に就任、同年11月 医学博士 |
明治42(1909)年6月 | 臨時脚気病調査会委員 |
明治43(1910)年4月 | 東京帝国大学病理学病理解剖学第一講座教授に就任 |
大正5(1916)年7月 | 勲二等瑞宝章 |
大正8(1919)年3月 | 帝国学士院会員、同年6月 学士院賞受賞 |
大正12(1923)年9月 | 退官、同年10月 正三位 |
大正13(1924)年3月 | 名誉教授 |
趣味としては俳句と菊、朝顔の栽培等、先生には慰安と健康の上にも少なからず役立つものであった。特に引退後は一層斯道に親しまれ、「曲川句集朝顔の道」の出版をみた。
昭和5年3月2日夕刻 心臓麻痺にて自宅にて逝去。翌日午後1時半 遺言により病理解剖。享年68歳。
緒方 知三郎教授
大正12(1915)年11月-昭和18(1943)年3月
明治16(1883)年1月31日 | 東京神田猿楽町に生れ |
明治40(1907)年12月 | 東京帝国大学医科大学卒業 |
明治41(1908)年 | 助手 |
明治43(1910)年8月 | 病理解剖学研究のためドイツのアショフ教授について研鑽 |
大正2(1913)年 | 帰朝、講師 |
大正3(1914)年12月 | 助教授 |
大正4(1915)年9月 | 医学博士、大礼記念賞授与 |
大正12(1923)年5月 | 臨時脚気病調査会委員、医師試験委員、同年11月 東京帝国大学病理学病理解剖学第一講座教授に就任 |
昭和12(1937)年 | 勲二等瑞宝章 |
昭和18(1943)年3月31日 | 退官、正三位、名誉教授 |
昭和21(1946)年5月 | 東京医学専門学校長、帝国学士院会員 |
昭和32(1957)年 | 文化勲章授与 |
趣味としての先生の奇術は衆知のごとく天下一品といわれ、天覧の栄に浴したこともある。
昭和48年8月25日 入院先の日本医科大学病院で逝去。享年91歳。同年永年の功績により勲一等瑞宝章。
三田村 篤志郎教授
昭和7(1932)年11月-昭和22(1947)年9月
明治20(1887)年2月26日 | 東京市新宿区に生れ |
明治44(1911)年12月 | 東京帝国大学医科大学卒業、大学院入学 |
大正2年12月 | 病理学教室 |
大正3(1914)年11月 | 伝染病研究所 |
大正9(1920)年8月 | 東京帝国大学助教授兼伝染病研究所技師 |
大正10(1921)年1月 | 実験的病理学研究のため英国、米国、ドイツへ留学 |
大正13(1924)年8月 | 帰国、同年9月 病理学第二講座担任 |
昭和5(1930)年1月 | 東京帝国大学教授 |
昭和7(1932)年11月 | 東京帝国大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和10(1935)年2月 | 東京帝国大学病理学第二講座教授に就任 |
昭和15(1940)年8月 | 正四位、同年11月 伝染病研究所所長 |
昭和17(1942)年8月 | 勲二等瑞宝章 |
昭和22(1947)年9月 | 退官 |
昭和23(1948)年9月 | 名誉教授 |
昭和38(1963)年2月 | 日本学士院会員 |
昭和38年9月17日 伝染病研究所内科に入院中、自然気胸のため逝去。享年76歳。同年永年の功績により正三位勲二等旭日重光章。
鈴木 遂教授
昭和18(1943)年6月-昭和20(1945)年
明治27(1894)年4月15日 | 東京麹町六番町に生れ |
大正8(1919)年6月 | 東京帝国大学医学部卒業、有給副手 |
大正12(1923)年5月 | 助手 |
昭和4(1929)年4月 | 助教授 |
昭和8(1933)年3月 | 病理学及び病理解剖学研究のためドイツへ留学 |
昭和10(1935)年6月 | 帰朝 |
昭和11(1936)年5月 | 新潟医科大学教授兼東京帝国大学助教授 |
昭和18(1943)年6月 | 東京帝国大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和20(1945)年3月 | 勲三等瑞宝章 |
昭和20年8月15日 先生は結核療養所保生園に入院中、終戦の詔勅を聞き終えていくばくもなく不帰の客となられ、岡 治道、岩崎 龍郎先生により病理解剖が行われた。享年52歳。
岡 治道教授
昭和21(1946)年9月-昭和27(1952)年3月
明治24(1891)年5月2日 | 東京市芝区に生れ |
大正6(1917)年12月 | 東京帝国大学医科大学卒業、同年 病理学教室副手 |
大正8(1919)年10月 | 稲田内科 |
大正12(1923)年11月 | 病理学教室 |
昭和2(1927)年2月 | 東京市立東京市療養所 |
昭和15(1940)年1月 | (財) 結核予防会結核研究所 |
昭和21(1946)年7月 | 結核研究所所長、同年9月 東京帝国大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和27(1952)年3月 | 退官 |
昭和53年2月18日午前4時30分 国立中野病院にて脳内出血のため逝去。享年86歳。永年の功績により従四位勲二等瑞宝章。
吉田 富三教授
昭和27(1952)年8月-昭和38(1963)年3月
明治36(1903)年2月10日 | 福島県石川郡に生れ |
昭和2(1927)年3月 | 東京帝国大学医科部医学科卒業、同年4月 副手 |
昭和4(1929)年6月 | 佐々木研究所 |
昭和10(1935)年3月 | 長崎医科大学助教授、同年11月 病理学研究のためドイツへ留学 |
昭和11(1936)年3月 | 帝国学士院恩賜賞 |
昭和13(1938)年2月 | 長崎医科大学教授 |
昭和19(1944)年6月 | 東北帝国大学教授、病理学解剖学第一講座担任 |
昭和24(1949)年1月 | 日本学術会議会員 |
昭和27(1952)年8月 | 東京大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和28(1953)年4月 | (財) 佐々木研究所所長、同年 日本学士院恩賜賞 |
昭和33(1958)年5月 | 東京大学医学部長 |
昭和34(1959)年11月 | 文化勲章授与 |
昭和34-37(1959-1962)年 | 日本学術会議員 |
昭和36(1961)年10月 | 国語審議会委員 |
昭和38(1963)年1月 | 日本学術会議副会長、(財) 癌研究会癌研究所所長、同年3月 退官、同年11月 ドイツ「コッホ」メダル授与 |
昭和40(1965)年 | 日本学士院会員、東京大学名誉教授 |
先生は特に内外の病理、癌、医学、科学の各領域において委員としてそれぞれの最高指導的役割を果たされました。その一端として昭和36年 医療制度懇談会における「医療制度私見メモ」なども世人の注目を集めた。
昭和48年4月27日 杏雲堂病院にて逝去。享年70歳。永年の功績により正三位勲一等旭日大綬章。
太田 邦夫教授
昭和38(1963)年4月-昭和48(1973)年3月
大正2(1913)年2月23日 | 兵庫県武庫郡に生れ |
昭和12(1937)年3月 | 東京帝国大学医学部医学科卒業、同年4月 医学部副手 |
昭和17(1942)年7月 | 東京帝国大学臨時附属医学専門部講師 |
昭和22(1947)年6月 | (財) 癌研究会癌研究所所員 |
昭和23(1948)年7月 | 東京医科歯科大学教授 |
昭和27(1952)年3月 | 腫瘍病学の研究及び視察のためアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ノルウェー、インドほか各国出張 |
昭和28(1953)年6月 | 帰国 |
昭和38(1963)年4月 | 東京大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和42(1967)年5月 | 東京大学評議員 |
昭和48(1973)年3月 | 退官、同年4月 東京都老人病総合研究所所長 |
昭和59(1984)年4月 | 日本医学会会長 |
森 亘教授
昭和48(1973)年12月-昭和59(1984)年
大正15(1926)年1月10日 | 東京市小石川区に生れ |
昭和26(1951)年3月 | 東京大学医学部を卒業 |
昭和27(1952)年4月 | 沖中内科入局、同年6月 病理学教室で病理学の勉強を始める |
昭和30(1955)年9月 | 医学部附属病院助手 |
昭和31(1956)年11月 | アメリカに出張 |
昭和35(1960)年10月 | 東京医科歯科大学助教授 |
昭和41 (1966)年11月 | 連合王国ほかに出張 |
昭和42(1967)年11月 | 帰国 |
昭和43(1968)年10月 | 東京医科歯科大学教授に就任、病理学第一講座担任 |
昭和45(1970)年4月 | 評議員 |
昭和46(1971)年12月 | 文部科学省大学学術局科学官 |
昭和48(1973)年12月 | 東京大学病理学第一講座教授に就任 |
昭和56(1981)年4月 | 東京大学医学部長、同評議員 |
昭和58(1983)年4月 | 総長特別補佐 |
昭和60(1985)年4月 | 東京大学総長に任ぜられる |
浦野 順文教授
昭和60(1985)年-昭和63(1988)年1月
昭和7 (1932)年5月2日 | 東京市小石川区に生れ |
昭和32(1957)年3月 | 東京大学医学部医学科卒業 |
昭和33(1958)年4月 | 東京大学大学院生物系研究科第三基礎医学専門課程博士課程入学 |
昭和38(1963)年6月 | 修了、同年7月 医学部助手 |
昭和40(1965)年4月 | 都立墨東病院検査科長 |
昭和41(1966)年9月 | アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス各国出張 |
昭和42 (1967)年9月 | 帰国 |
昭和47(1972)年4月 | 東京大学講師 |
昭和49(1974)年10月 | 東京大学助教授 |
昭和55(1980)年3月 | 神戸大学教授 |
昭和58(1983)年8月 | 東京大学病理学第二講座教授に就任 |
昭和60(1985)年4月 | 附属病院病理部長、病理学第一講座教授兼任、厚生統計協議会専門委員(厚生省) |
昭和61(1986)年2月 | 学術審議会専門委員 (文部省) 同年3月 医道審議会委員 (厚生省)、死体解剖資格審査部会員 |
昭和62(1987)年4月 | 神戸大学講師医学部に併任、同年6月 厚生統計協議会専門委員(厚生省) |
町並 陸生教授
昭和63(1988)年4月-平成11(1999)年3月
昭和14 (1939)年3月10日 | 東京都杉並区に生れ |
昭和40(1965)年3月 | 東京大学医学部医学科卒業、医学士、同年4月 東大病院にてインターン |
昭和41(1966)年4月 | 東京大学大学院生物系研究科第三基礎医学、病理学教室にて太田教授に師事 |
昭和45(1970)年4月 | 医学博士、東京大学大学医学部病理学教室助手 |
昭和47(1972)年8月 | Chester Beatty癌研究所(ロンドン)にてBritish Council留学生として研究に従事 |
昭和49(1974)年11月 | 東京大学医学部病理学教室講師 |
昭和52 (1977)年3月 | 東京大学医学部病理学教室助教授 |
昭和56(1981)年5月 | 群馬大学医学部病理学教室教授、病理学第二講座担任 |
昭和59(1984)年10月 | 英国Bristol Tumor Registryに文部省在外研究員として滞在 |
昭和63(1988)年4月 | 東京大学医学部病理学教室病理学第一講座教授に就任、附属病院病理部長 |
平成7年(1995)年4月 | 大学院部局化により東京大学大学院医学系研究科病因・病理専攻病理学講座人体病理学分野教授となる |
平成8(1996)年7月 | 英国病理学会名誉会員 |
平成9(1997)年6月 | 日本病理学会理事長 |
平成11(1999)年3月 | 退官 |
平成11(1999)年5月 | 名誉教授 |
深山 正久教授
平成11(1999)年7月-平成31(2019)年3月
特設ページ
昭和29(1954)年1月3日 | 熊本県天草郡に生れ |
昭和53(1978)年3月 | 東京大学医学部医学科卒業、同年6月 附属病院 内科・放射線科研修医 |
昭和54(1979)年6月 | 東京都養育院附属病院内科医員 |
昭和56(1981)年4月 | 東京都立駒込病院 病理科医員 |
平成1 -3(1989-1991)年 | 米国国立衛生研究所研究員 |
平成6(1994)年4月 | 関東逓信病院診療支援部 病理診断科部長、日本病理学会学術評議員 |
平成7(1995)年10月 | 自治医科大学 医学部病理学第一講座教授 |
平成11(1999)年7月 | 東京大学大学院医学系研究科 人体病理学分野教授に就任 |
平成14(2002)年11月 | 死体解剖資格審査分科会委員 |
平成15(2003)年4月 | 人体病理学・病理診断学分野教授、同年5月 附属病院病理部長併任 |
平成16(2004)年 | 日本癌学会評議員 |
平成24(2012)年 | 日本病理学会理事長 |
平成31年(2019)年3月 | 退官 |
平成31(2019)年6月 | 名誉教授 |
牛久 哲男教授
令和元(2019)年5月1日-
ご挨拶
2000年 3月 | 東京大学医学部医学科卒 |
2000年 4月-2004年3月 | 東京大学大学院 人体病理学・病理診断学 (医学博士) |
2004年 4月-2005年3月 | 東京大学大学院 人体病理学・病理診断学 助手 |
2005年 4月-2010年9月 | 東京大学医学部附属病院病理部 助手 (助教) |
2010年10月-2012年3月 | 東京大学医学部附属病院病理部 病院講師 |
2012年 4月-2013年3月 | Massachusetts General Hospital Research Fellow |
2013年 4月-2019年4月 | 東京大学大学院 人体病理学・病理診断学 准教授 |
2017年 4月- | 東京大学医学部附属病院・病理部 部長 (兼任) |
2019年 5月- | 東京大学大学院人体病理学・病理診断学 教授に就任 |